ステップ・バイ・ステップ

どんなことでも、何かを達成する場合にとるべき方法はただひとつ、一歩ずつ着実に立ち向かうことだ。

平常心を持つということは

平常心を持つということは、

広い心を持つことだと思います。


平常心を持つということは、

相手を許すことであり、同時に

自分の心の動揺を許し認めることだと思います。


例えば目の前に、常識的に考えたら失礼な態度をとる方が現れたとします。

ここで、

・なんて失礼なひとだ。全く礼儀がなっていない。

と思うとしたら、心が乱され相手に憤慨している状態です。

正しくない、という認識を持ってるため、相手を正そうという心が生まれます。


これは、間違いというわけではありません。

もしそのまま指摘せずにいたら、相手が別の場面で困ることになる可能性もあるからです。

直した方がいいですよ、ということを伝えること自体は間違いではありません。


しかしここで、

・なんでこの人はこういう態度をとるのだろう?どういう背景があるのだろう?

と思えたなら、まず相手の態度を許し認めることができているということになります。その上でなぜなのかを考え、指摘しようとしています。


ここで、相手のことを許せていると同時に自分の心が揺らいだことを認められているから、相手のことを「考えること」ができてるのです。



平常心は、弓道の心でもあります。

弓は、争う、相手を憎む、という考え方とはまったく反対の世界です。


弓の世界に敵はいません。


いるとしたら、揺らぎ、動揺する自分の心が、敵なのです。

自分と向かい合い、心を養い、常に平常心でいられる心を作ることこそが弓道の本来の目的なのです。


また、弓道場では、お互いに親しみ、礼節を重んじることを大切にしています。
このようなことを大切にすることで、私たちはいま現代人に必要としている本当の教養を養うことができると考えています。


「礼節」を大切にし、「相手を慈しむ」ことこそ、弓道の基本精神なのです。


平常心を持つということは礼節を持って相手を慈しむこと、にもなります。


もしかしたら平常心が保てていない時というのは、自分のほうこそ礼儀・礼節を忘れてしまっているかもしれません。


相手がどうか?ということを考える前に、いったん自分の心に立ち返ってみて、こころが乱れていないだろうかということを確認してみると、平常心を保つヒントが見つかるかもしれません。